斎藤 義龍(サイトウ ヨシタツ)


美濃国の大名。斎藤道三(秀龍)の長男。

母親が道三の旧主・土岐頼芸の側室だった過去があり

その経緯から、道三の子ではなく頼芸の子ではないかと噂されていた。

これが原因かは分からないが、道三と義龍との親子仲は悪く

挙兵した義龍が、長良川の戦いで道三を討ち果たす事で

その関係は終わりを迎えた。

その後、妹婿である尾張の織田信長や近江の浅井家などと争う中、35歳の若さで急死。

道三の死から僅か5年後の事だった。





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