豊臣政権五奉行筆頭。 豊臣家の行政を石田三成、増田長盛と共に取り仕切ったという。 豊臣秀吉の晩年で、秀吉に物を言える事が出来る数少ない人物の一人であり 朝鮮と日本との戦争が長引き、秀吉自身が朝鮮に渡り自ら指揮を執ると言い出すと 秀吉を狐憑き呼ばわりし、朝鮮との戦争は愚策と諫言したという逸話があるらしい。